クラッシック・ブラボーの不思議 -ブラボーじゃなくて金返せでしょの巻き-

NHK-FMのクラシックの音質がいいという記事は以前書いたとおりです。その内容を耳にした妻がそれじゃー実際に聞いてみたらと言うことでN響のNHKホールでのコンサートのチケットを買ってきました。昨年の秋10月位のことで、曲目にはムソルグスキーの「展覧会の絵」が入っていました。他にも曲目はあったのですが忘れました。
この展覧会の絵で驚くべき体験をしました。
「展覧会の絵」といえば最初のトランペットのソロのパーパーパーパララ、パララ、パーパーパーパーというところが一番の聞かせどころだと思うのですが、ここがひどかったのです。音程をはずしまくりで、まるで小学生が学校からの帰り道に縦笛をふざけながら吹いているかの様なレベルです。聴いているほうが音程をはずさないか心配になるくらいで、それ以降それが気になって演奏を楽しむどころではありませんでした。ひょっとして自分の耳がおかしいのかと思いましたが、後で聞いたら同伴した妻も同じ事を言っていました。

さらにビックリしたのが、その演奏が終わった後で「ブラボー」、「ブラボー」という声がかかって拍手喝采だったことです。あれだけソロの部分で派手に音程をはずしておいてどこがブラボーか意味不明ですが、演奏者の方も拍手に答えて臆面もなくアンコールの演奏をしていました。これが私には実に不思議だったのです。私が思うに、言うべき言葉は「ブラボー」ではなくて「金返せー」ではないでしょうか?それはお行儀が悪いというかもしれませんが、単に形式的に褒めるとろくなことになりません。悪いときには悪いといってあげて初めて演奏する方も緊張感がでて上達するのです。結構な金額を取っているのですから、ど素人が音程を気にしなければいけないほどはずしてはいけませんし、それがブラボーってどういう事でしょう。聴衆は演奏が良かったかどうかなどにまったく関係なく褒めてあげる事が礼儀だ見たいな感じで拍手喝采しているのだと思いますが、私に言わせればおかしな世界でしかありません。

それに加えてアンコールをする事がまたおかしいと思うのです。私が指揮者だったら恥ずかしくてアンコールなんか演奏できません。観客に「ごめんなさい」と一言いって家に帰るか、全員居残りで練習です。先日ある別の(著名な?)日本人指揮者が指揮者になるにはわざとちょっとだけはずした(素人が聞いてもわからない様な)演奏を聴いて、指摘する試験だかなんだかがあると自慢していましたが、音楽学校では音程はずしまくった演奏をしてしまったときの対応を習わないのでしょうか?
私が指揮者だったら、
(1)リハーサルの段階で奏者を変えます。音楽学校の生徒でももうちょっと上手な人がいるのでは?
(2)奏者の変更ができないなら、寝ててもふけるようになるまで1万回練習して来い(それまで顔をみせるな)と言う
(3)どちらもだめなら、こんなレベルではお金を頂戴するレベルではないので、コンサートを中止するあるいは指揮を降りると主張する。
位の事はやります。(指揮者に実際にどれくらいの権力があるか知りませんが)

ちなみにこのN響のトランペットの下手は有名で、半年前の誰かのブログにも音がひっくり返っていたとありました。(今の時代はこういうことが直ぐにばれてしまうから怖いですねー)
N響のホームページを見ると今年の4月からペットの奏者を募集しています(やること遅いんだよなー)。

ここから先は推測ですが、
・NHKは古い体質なので年功序列、N響人事もそうなので下手でも先輩が重宝がられる
・N響のメンバーも同僚をかばうばかりで、下手な奏者を変えた方がいいとは誰も言わない(そういう体質がない)
・アンケート用紙の内容などはまったく運営に反映されない
ということなのだと思います。

この経験以降、よくクラシックの演奏あるいは指揮に対して音楽表現がどうたれこうたれ評価されていますが、本当にそれだけの事が行われているのかはなはだ疑問に思うようになりました。

あんまりけなしたのでN響で感心したところを一つ、それは弦楽器のタイミングです。一糸乱れず引き始めと引き終わりがぴたりとそろうのです。まるで一つの楽器が演奏しているように(もちろん音の厚みはある)聴こえるのです。これはプラハカメラータの演奏を聴いたとき以来のすばらしさです。ただ演奏表現はおとなしめというか、自己主張をしない演奏にきこえます。まるで何かのバックで演奏しているかのようです。もう少し自己主張というかメリハリと言うか、しゃしゃり出るべきところでは私が私がと言う感じが出てきていいように思います。(まあクラシック音痴の私が言う事ではないですが)

ついでに言っておくとNHKホールでのN響のコンサート、観客が普通の日なのに気持ち悪いくらいにやたらに年配の方が多かったです。平均年齢70才くらいではないでしょうか?ご年配の方が悪いというのではありませんが、これだけかたよっていると普通ではありません。理由はわかりませんがなにかあるのでしょう。もともとクラッシックコンサートの聴衆に若い人は少ないのですが、ここはそれにしても異常な分布でした。

大きな事をいわせてもらうと、こういう音程をはずすような演奏を批判しない、改善できないという現象はN響に限らず、日本の風習からでる悪い部分の一つではないかと思うのです。結局そのつけをどうやって払うことになるかと言うと、若い人にそっぽを向かれてその産業は衰退していくことになるのではないでしょうか。

以上の現象は実はクラシックに限らず、ちょっと単語を変えれば、オーディオ業界にもそのまま当てはまります。(だから前編の最初に言ったでしょ、自分の事は棚に上げると・・・・。)

(クラシックブラボーの不思議はまだまだ続きます)

(追記)
先日NHKテレビでN響コンサートを見ていたら、トランペットの主席奏者が定年を迎えたという事で挨拶をしていた。何でも32年間お勤めになったそうです。おそらく冗談だと思うが「私は天才なので32年間勤められました」と言っていたが、ここで”はっと”気づいた。N響は芸術家・音楽家というよりもサラリーマンなのだと。NHKの奏者募集も別に出来が悪いからではなく、定年退職の補充だったのね。こちらはクラシックの演奏家というから、つい情熱にあふれる人たちがリスナーを感動させるためにやっているものと勝手に勘違いしていたという事だろう。サラリーマンのお勤めとして単に毎日の演奏していれば、中にはドレミも満足に吹けなくなる人も出てくるだろう。ここまで考え付いてなんだか悲しくなりました。
それにしても(他にも曲目はあったけれど)やはり音程はずしまくりの「展覧会の絵」で8000円は高いな、やっぱり金返せだ。

クラッシック・ブラボーの不思議 -ブラボーじゃなくて金返せでしょの巻き-」への19件のフィードバック

  1. 私、元東フィル楽員です。フィラデルフィアさんのいうことはまったく正鵠を得ていますよ。楽界の常識です。貴方ももう少し音楽を勉強したほうがいいですよ。オーディオは音楽を聴くための芸術的道具です。音は理解できても音楽がわからないと、真のいい音は判別できません。
    ただ、N響がダメというのは同感です。勘違い集団なのでしょうね。ただ、いい意味で勘違いしてないとすばらしいものも生まれないのも事実です。冷め切った感情からは無機質なものが出てくるだけです。

  2. お言葉を返すようで申し訳ありませんが、クラシックのCDが売れないのは単に音(音質)が悪いからではないでしょうか?
    ”音楽家の技術水準が飛躍的に高くなっているのに”というのも疑問に思います。ブログの内容に戻ってしまいますが、そうだとすれば何故音程もまともに吹けない人が主席奏者をしているのか不思議です。せめて素人が大丈夫だろうかと心配しないですむ演奏をして欲しいです。
    演奏者の方はただいままでどおりの努力をするだけではダメだと思います。努力の内容・方向が殆どの場合、的はずれなのだと思います。
    別にあおるつもりはないのですが、そんな内容になってしまってすみません。

  3.  結局、個々の楽員の矜持ということではないでしょうか。音楽家としての初心と誇りを忘れず、プレーできるかどうかという点にかかっていると思います。今、プロのオーケストラ楽員に採用されるのは大変なエリートで、音楽家としては最も成功した部類に入ります。
     地方の交響楽団でも世界各国からオーディションを受けに来ますし、競争率は大変なものです。ところが、オーケストラの楽員も含めて音楽家の技術水準は飛躍的に高くなっているのに、職業としての音楽家は、報酬や待遇で考えるとこの30年で最も凋落した職業の一つになってしまいました。それはなぜか。CDが売れなくなってしまったことが要因の一つです。
     それではなぜ、CDが売れないのか。大きかったのは、ネット社会到来によるゲームと映像の時代になったからです。人間は映像が美しければ美しいほど、音声は2次的なものになってしまいます。ピュアオーディオの衰退とともに、CDが販売不振になるのは自然な結果だったのでしょう。
     技術は最高のものを求められても、待遇面では報われない音楽家は何を目指すべきなのか、答えは難しいですが、原点に帰って「感動」を追究する姿勢を忘れないでほしいと思います。

  4. 陰湿なんですね、N響も大変なんですね。私も昔誰かの指揮をボイコットしたという話は聞いたことがあります。
    N◯◯は別としても、日本の組織・会社はマネジメント・経営的にお粗末で、結局社員は勤勉で優秀でも、結局苦労しているだけで会社としては空回りしている事が多い様な気がします。ごく一部を除いてろくな経営者がいませんから。
    欧米式のマネジメントの方が一般に成功していると思います。

  5. N響の裏話を書きます。実際の楽員から聞いた話ですが、N響を一言でいうと口うるさい「小姑集団」だそうです。有名なエピソードですが、あまり上手ではないある奏者が休憩中に離席して戻ったところ、椅子の上に「ヘタクソ ヤメロ」と赤字で書かれた紙があったそうです。
    こんな陰湿なイジメが横行する同楽団ですが、不思議なことに「超一流の指揮者が振れば俺たちはいつでも超一流の演奏ができる」と多くのメンバーが思っているという事実です。
    ウィーンフィルのモットーである「俺たちは誰が振ろうとも、常に高水準の音楽を提供できる」というコンセプトをかみしめてほしいですね。これこそ当たり前のプロ意識というものでしょう。
    やはり、安定した財源があるということが自由競争をはばみ、「権威」づけを助長してしまう結果になってしまうのでしょうね。同じ公務員(N響は公務員ではないが)であるベルリンフィルと比べてもあらゆる面で雲泥の差があることは否めないでしょう。

  6. エルトン・ジョンさんのコメントへのコメント
    N響の弦楽器は上手だと思っていましたがそうでもない場合もあるのですね。私が不思議なのは明らかにヘマをした演奏の場合でもブラボーってなるところで(ブログタイトルのとおり)、やはり実際に感じた通りにフィードバックする習慣に修正した方がいいんじゃないかということです。
    そうしないと淘汰されていきませんから。N響の収入は興行収入ではなく、ほとんどがNHKからお金をもらっているので(収支報告書を見る限り)、まあ顧客の反応なんて関係ないのかも知れませんけど。
    私が聞いた中で最悪だった演奏会はナントカ・ムターという人のバイオリンでした。モーツアルトの生誕100年か何かで、ずっと退屈なモーツアルトを演奏して終わりました。モーツアルトを演奏するのは分かっていましたが、何もあんな退屈な曲を1時間も聞かせないでほしかったです。会場もどっちらけで(じっさいそう感じた)、弾き方もお前らどうせわからないんだからこれでいいだろみたいな情感が強く伝わってきたのが不思議でした(これもサントリーホールでした)。
    また悪口を言ってしまった・・・。

  7. コンサートホールの評価でサントリーホールについてすごい苦情が何度か過去きました(関係者ではないのに訴えるぞみたいな・・・)。
    たまにあるのが席によって音質が異なるという指摘ですが、私も何度も行ってますのでそれも当たっているとは思いません。また音響工学の教科書には必ずホール全体に音を均一に行き渡らせるためにxxyyと書かれているくらいで、つまり場所による差をなくすことはコンサートホールに取って重要な課題の一つなのです。
    またサントリーホールの致命的な欠点は音量が小さいことです。通常コンサートホールは扇型の元から音を出すような感じで、音を出す領域を制限しています。後ろ、左右、天井4枚の壁があるので、最大で16倍、実際にもざっと見て自遊空間の少なくとも5倍位の音量を観客席に伝えることができるようになっています。サントリーホールは近くに壁がないので観客席での音量が通常のホールの数分の
    一で迫力がない(とわたしは感じる)のです。
    それともう一つ、反射があると結果的に回り込みやすい低音の音量が相対的に多くなります。結果的に低音と高音の帯域バランスがよくなって心地良くなるのですが、サントリーホールは低音の量が、音量が少ないのと反射壁による天然イコライジングがないのとのW効果で中高音の方だけが聞こえる状態になります。
    またいろいろな意見、評価があってよく、どれが正しいとか正しくないとか言うことではないと思います。いいと思う人が多ければそれは少なくともビジネス的には成功しているという証明ですから。
    私は逆にサントリーホールの様なホールでばかり有名な演奏をやるので、たまに行ったクラシックファンではない普通の人は、特にはクラシックにのめり込むこともなく、結果的にクラシックが一般の方には盛り上がらないのだと思っています。
    JTホールなんて、音楽云々の前に一音一音が本当に心地よく、すごいなって思えますから。このホールの音響でオーケストラが入るホールがあって、普通にそこで演奏されるようになったらクラシックファンは5-10倍に増えると思います。

  8.  コンサートホールの評価について。サントリーホールの評価が低いのですが、私は個人的に何度も同ホールへ通ってみて、それほど悪いホールという印象はありません。音としてはハイレベルではないでしょうか。このホールの音色は一言で表現すると「中高域がまばゆい、やや軽くて明色系の音。音離れは抜群。それでいて、さほど腰高な音になることはなく、それなりの厚みと柔らかなツヤがあり、演奏がうまく雄弁に聴こえるタイプの音」。オーディオファンでもかなり好む人が多い音と思われます。
     反面、「音の陰影や重厚さを求める人には向かない。タメが出にくい。楽器の音色へのカラーレーションが強く、ベルリンフィルでもウィーンフィルでも、アムステルダムコンセルトヘボウでも画一的な明色音色に染まってしまう」という印象です。このイメージはカラヤンが同ホールを「音の宝石箱」と例えたのに近い気はしますが、いかがでしょうか。
     要は私がここで指摘したいポイントは、聴く人によって正反対ともいうべき印象がどうして生まれるのかということです。これはオーディオ全般に関わる根源的かつ本質的な問題だと思います。一般的な理由としては?聴く席の差?各人の耳の差-などが考えられますが、サントリホールは席によって印象が大幅に変わるのかーといった問題を検証・議論していかなければ、前向きな結論は出ないと思いますが、いかがでしょうか。

  9. 私も以前、N響の地方公演でチャイコフスキー
    バイオリンコンチェルトでひどい手抜き演奏を聴かされました。当時のコンサートマスターのT氏がソリストだったのですが、音色はギザギサ、フレージングは雑、とにかく手抜きしまくりの演奏の上、「どうだ、この音楽がお前らに分かるか」といわんばかりの上から目線演奏。ばかばかしくなって、すぐに会場を後にしました。これは決して誹謗中傷ではなく、歴史上の厳然たる事実です。

  10. コメントありがとうございます。
    このブログ記事は何かの検索ワードで引っかかるのか、時々音楽ファンの方からコメントをいただきます。
    私が一番言いたかったのは、N響金管の奏者が下手だったという事ではなくて、それに対してブラボーというのは変なので、きちんとフィードバックしてあげましょうということでした。あるところで聞いたのですが、そういう時は「ブラボー」ではなくて「ブー」といえばいいのだそうです(ほんと?)。この次からはこういう事があったら「ブー」といってみようと思います。コンサート会場で「ブー」といっている人がいるのを聴いた事がありませんが。
    N響にど下手な人が混じっているのも、サントリーホールがべた褒めされるのも根っこは同じ気がするのです。この辺の文化を変えないとクラシックが私いの様な一般の人に普及しないと思うのです。

  11. 古い記事に今更コメントをして申し訳ありませんが、N響の金管がヘタだと思うのは皆さん同じみたいですね。
    一昨年、ベルリンフィル12人の金管奏者たちをナマで聴いたのですが
    音の流麗さやアンサンブルの正確さ等、N響なんて足元にも及びません。
    特に印象的だったのは女性のホルン奏者。とても力強いソロで、曲中にも関わらず笑いと拍手の渦が巻き起こっていました。
    「下手があるので上手が知れる」という諺があるので、N響は未来永劫ヘタでよいと思います。
    過激になりましたが、正直な感想です。

  12. 今ブログを改めて読み返すとずいぶんきつい事を書いているなと我ながら思いますが、それだけクラシックは崇高なものという期待があったのだと思います。
    クラシックの方は指揮とか演奏技法とかそういうことには凝るのですが、実際聴衆の席でどういう音が聞こえているかを考えている人はほとんどいないのではないかと思います(そういう発想で発言されているのを聞いた事がありません)。
    もうちょっとクラシックファン以外の私のような普通の人が、ああいい音だなーと感じるようになると、コンサートを聴きに行く人も増えると思うのですが・・・。
    クラシックの演奏者の方は猛練習で腕を磨いても、その腕で稼げるのは一部の有名な方だけで、大変というかもったいないなーと思っています(高飛車ですみません)。まあオーディオ業界も大変な業界なので、えらそうな事はいえませんが。
    考えさせられたのは事実ですが、別にN響を悪く思っているわけではありませんので、また聞きに行きたいと思います(FMのN響はしょっちゅう聴いています)。
    今後ともよろしくお願いします。

  13. 今更のコメントですみません。
    N響をありがたがる一部の年配の固定ファンがついている状況でして、
    その人たちはクラシックファンの中では必ずしも主流ではございません。
    むしろ「やれば出来る」はずなのになかなかやる気を出さないのは、
    そういった固定ファンの存在の上に胡坐をかいているからだというのが、
    心あるクラシックの聴衆の考えではないでしょうか。
    それと、これも一部の「東京ブラボーサービス(TBS)」と揶揄される
    人たちが、演奏直後のブラボーを叫ぶこと自体でストレス発散を図って
    いるのではないか、という憂慮すべき状況もございます。
    この演奏会自体は聴いておりませんので断言は出来ませんが…
    いずれにしましても、残念な演奏会だったようで、お気の毒なことで
    ありました。どうぞこれにめげずに、また演奏会場にお運びください。

  14. N響行ったことないですが(地方なので)他のオケとか聞いてみたらいろいろ思うところもあるでしょうね。
    他のオーディオメーカの製品も聞いてみるといろいろな発見があるでしょうし。
    まあ、「N響」だからありがたがる、聞きに行くのが日本人の日本人らしい所じゃないですか?(苦笑)
    それにしても、オーディオメーカの人は耳が優れているのでしょうね。
    あの品質であの金額というのはたまにありますが(汗)。
    (そんな畏れ多いこと皆が見れるサイトで書くほど自信が有りませんが(苦笑)

  15. 「そのように振舞うべしと強制されて皆拍手・・・」とありますが、その様な礼儀が有るのですか?知りませんでした。演奏中は咳をしてはいけないとかそういうマナーは教わりましたけど。
    私だけではなく皆さん同じ様な事を感じられていたのですね。N響もサラリーマン社会と考えるとわかり易い様に思いました。きっと演奏が下手でも教えるのが上手とか、後輩の面倒見がいいとか、そういった演奏以外の魅力は(おそらく)あって演奏をされる立場にいらっしゃるのでしょうが、やはり演奏の実力第一の方が言い様に思います。
    改めて、クラシックコンサートの礼儀みたいなものをぐぐってみたら、拍手をして演奏家をねぎらうのが礼儀みたいな事が書かれていました。お金を払って聴いているのに、演奏者をねぎらうというのも変です。それならオーディオメーカーももっとねぎらって欲しいなー(笑)。

  16. N響については,ホルンの主席(松崎氏でない方)とトランペットの主席を何とかしてほしいとずっと思っていました.特にT氏の時はお客のこちらがハラハラしながら聴く有様で,楽しめませんでした.やっと交代するのですね.ブラボー!

  17. 私もそのように思いますね。
    日本のオケは実力認められるというよりは、そのように振舞うべしと強制されて皆拍手しているという感じですね。それに比べると外国のオケは、日本に来るだけの事はあるな、と思わせる事が多いです。

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